はじめに
神道の《祝詞》は、日本の神の言葉を人に聞かせるためのものが、人が神の働きを賛美するために奏上されるものへと変遷したようです。「本当のいのり」を考えるにあたって、祝詞についても研さんすべきと思いました。言葉無くしていのりは成立しないほど言葉は重要です。その言葉を考えるときに祝詞の成り立ちがとても参考になります。
日本で一番よく唱えられているお経といえば『般若心経』ですが、これに相当する祝詞が《大祓詞》です。この祝詞も優れた力を持つことから人気絶大のようです。この祝詞を研さん対象としました。
大祓詞は、日本の神々の働きによって人々の罪穢れが祓われる様子を詳しく描いており、それをはっきり読み上げることでその言霊が発動して効果を現すものと思います。日本の神々をたたえ、喜んでいただき、より大きなお力をいただいて、人々の自我による罪穢れの浄化がなされ、この世の調和と平和が進展するように神とのつながりを深めたいものです。
なお、『古事記』(天地創造などの神話から天皇につながる経緯を記した日本最古の歴史書)に照らすと大祓詞の理解がより深まります。
この大祓詞は全国の有人の神社において、朝一番の日課をはじめ、参拝者への祈祷など様々な神事でよく奏上されていると思います。朝早くに参拝して、拝殿で神社関係者がそろって奏上しているところに出くわせば、自らの罪穢れも一緒に祓らわれるような気分を味わうことができます。
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祝詞の文面表記について
言語の表現方法の歴史は《音声》に始まり《文字》が加わるという流れですが、日本の文字は中国から伝来した《漢字》が用いられました。その後、日本語の言葉すべてを漢字表記し続けることに難もあり、漢字を崩した仮名を交えて表記されるようになりました。
祝詞も口伝えで受け継がれたものが、漢字表記され、その後仮名交じりとなった経緯にあります。漢字表記にするあたって日本語の意味に近い漢字が当てられましたが、このことで本来の日本語の意味が曲げられてしまうことになります。
適当な漢字が当てられなかった場合、例えば「ふじ・富士」でいえば、「ふ」は何かが吹き出すという意味の語で、「じ」は地面という意味です。これをつなぎ合わせて、地面から噴き出たものを表現しました。
「富士」という漢字からはこのことがまったく読み取れないばかりか、他のイメージを持たれ兼ねません。「ふじ」という仮名表記の方が誤解されにくいです。
このように、漢字にとらわれ過ぎないように、仮名のみ表記の祝詞によって、無心に唱えることが本来の祝詞の言霊を活かすことになりそうです。
祝詞の唱え方
古代日本の音声言語は、伝えたいことを、一音一音の響きに応じた意味を込めた語をつなぎ合わせて表現したもののようです。
古来の祝詞もこの言葉でつくられたものですから、詳しい意味が分からないままに祝詞を唱えても、その言霊の効果は音の響きによって生じることになります。
このことから祝詞の唱え方は、誤った解釈の想念が混じることにもなり兼ねませんので、感情による抑揚をつけることなく、一語一語の音を母音まで丁寧に発することに重点を置いて、無心でゆっくり淡々と唱えることが望ましいと思われます。
大祓詞の出だしを例として、「たかまのはらに」は「たあ かあ まあ のお はあ らあ にい」のように母音まで発して唱え、音の響きに同調して心に生ずるものを観ずればよいと思います(観ずるとは“しっかり観察して把握すること”)。
大祓詞全文
かな表記
たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろみのみこともちて やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめせと ことよさしまつりき かくよさしまつりしくぬちにあらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひたまひて ことといしいはねきねたちくさのかきはをもことやめて あめのいはくらはなち あめのやへぐもを いづのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひだかみのくにを やすくにとさだめまつりて したついはねにみやばしらふとしきたて たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あめのみかげひのみかげとかくりまして やすくにとたひらけくしろしめさむくぬちに なりいでむ あめのますひとらが あやまちおかしけむくさぐさの つみごとは あまつつみくにつつみここだくのつみいでむ かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すゑうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたち すゑかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへぐもをいづのちわきにちわきて きこしめさむ くにつかみはたかやまのすゑひきやまのすゑにのぼりまして たかやまのいほりひきやまのいほりをかきわけて きこしめさむ かくきこしめしてば つみといふつみはあらじと しなとのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎりゆふべのみぎりを あさかぜゆふかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほふねを へときはなち ともときはなちておほうなばらにおしはなつことのごとく をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはらふことのごとく のこるつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを たかやまのすゑひきやまのすゑより さくなだりにおちたぎつはやかわのせにます せおりつひめといふかみ おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢのしほのやほあひにます はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにます いぶきどぬしといふかみ ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににます はやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを あまつかみ くにつかみ やほよろづのかみたちともにきこしめせとまをす
漢字・かな交じり表記
高天原に神留り坐す 皇が親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬の神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原の水穗の国を 安国と平けく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知ろし食さむ国中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 国つ罪 許許太久の罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 国つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と云ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神 根国 底国に氣吹き放ちてむ 此く氣吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比賣と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
備考:「天つ祝詞の太祝詞事」について
大祓詞の前半部の最後に「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」とありますが、この「天つ祝詞の太祝詞事」が具体的に何を指すかについては諸説あります。詳しくは次のリンク先に掲載します。
参照サイト
小國神社(静岡県)ウェブサイト
祝詞や大祓の説明のほか、大祓詞で述べられていることを分かりやすく紹介する漫画動画も視聴できるサイトです。