唱え方などは 「勤行次第」ページ をご覧ください。
真言宗仏前勤行次第の解説
いのりとは語源として「意を宣(の)ること」といわれるように、自らの思いや気持ちを言葉にすることで、その思いや気持ちを強めて自らの意志とすることだと考えています。つまり、自らに思いや気持ちがあることが前提で、それを現実のものにする手段がいのりです(そう思うからそうなり、そう思わないからそうならない)。
しかし読経や勤行のように予め決められた内容のいのりをする場合は、単にそれを読んでいるということになりがちです。前もってお経や勤行の内容を理解し自分のものにして、思いや気持ちに言葉が追随して唱えられるようになることが望ましいと思います。
合掌礼拝(がっしょうらいはい)
恭しく みほとけを礼拝したてまつる
【合掌礼拝の解説】
●勤行を始めるに際して、仏さまのみ教えにあずかることに畏敬の意を表します。
懺悔文(さんげもん)
無始よりこのかた 貪瞋痴の煩悩にまつわれて 身と口と意とに造るところの もろもろの つみとがを みな悉く懺悔したてまつる
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生
一切我今皆懺悔
【懺悔文の解説】
●心が穢れた状態では確かな祈り(勤行)ができません。まずは、人の本性であるエゴ(自我・我欲)によって引き起こしている、不調和をもたらす言動を反省して今後は慎むとの決意を表します。このことによって、普段、無意識・無自覚に行っている不調和をもたらす言動にも気づけるようになります。
●《貪瞋痴》とは人の善心を害する三種の煩悩(三毒)のことで、エゴ(自我・我欲)に基づくものです。これらが身・口・意(心)の悪行(三業)として現れます。後述の《十善戒》の戒め事項ともなっています。「貪瞋痴」はこの世の調和(平和)を乱す元凶であり、人の起こす様々な悪行はこのことに集約されるといえます。
・貪(貪欲):我、満たされたいとの欲望
・瞋(瞋恚):我に逆らうことへの怒り
・痴(愚痴):我が無明(無知)をさらす愚かさ(無明によって誤った言動を引き起こすという最も根本的な煩悩。愚も痴も愚かの意)
三帰(さんき)
この身 今生より 未来際をつくすまで 深く三宝に帰依したてまつらん
弟子某甲 尽未来際 帰依仏 帰依法 帰依僧 (三返)
【三帰の解説】
●三帰は、三帰依の略です。
●意訳すると、「弟子なにがしは、これから未来永劫、仏・法・僧を拠り所にして、自然の摂理に則して正しく生きます」となります。懺悔文でエゴに基づく言動を慎むと反省したのち、普段の心がけについて表明するものです。
●「弟子某甲」とは自分を「弟子なにがし」と呼ぶものです。自分は名乗るほどの者ではない、弟子の一人に過ぎない者とへりだる表現です。
●「三宝」とは仏道の三つ宝の仏・法・僧です。自然の摂理に則した正しい生き方の象徴が「仏」であり、その教えが「法」であり、それを修めて即身成仏を目指すのが「僧」であり、これら三つに帰依するとはつまり、「仏の教えを実践する」との宣言と解釈しています。
三竟(さんきょう)
この身 今生より 未来際をつくすまで ひたすら三宝に帰依したてまつり とこしなえに かわることなからん
弟子某甲 尽未来際 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟 (三返)
【三竟の解説】
●三帰による表明をさらに強調します。
●仏・法・僧の後に付く「竟」は、「終わる、極める、尽くす」の意味があり、これら三宝に帰依し終わった、し尽くしたとなり、強い意志を表すものとなります。
十善戒(じゅうぜんかい)
この身 今生より 未来際をつくすまで 十善の みおしえを守りたてまつらん
弟子某甲 尽未来際 不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不悪口 不両舌 不慳貪 不瞋恚 不邪見 (三返)
【十善戒の解説】
《自然の摂理》やあらゆるものとの《調和》に則した言動や気持ちを持ち続けるよう、戒めとして次のことに努めます。修行に伴って自然によい言動をとるようになりますので、日々の出来具合を確認する感覚でよいと思います。ダメなことを掲げるスタイルですが、この方がわかりやすいのかもしれません。
『十善戒チェックリスト』(身・口・心による慎むべき種々の行為)
●行いのありよう(身業)
□ <不殺生> 故意に生き物を殺さない。
□ <不偸盗> 与えられていないものを自分のものとしない。
□ <不邪淫> 道徳に外れた性行為をしない。
●発言のありよう(口業)
□ <不妄語> 嘘をつかない。
□ <不綺語> 真実に反して言葉を飾りたてない。
□ <不悪口> 乱暴な言葉を使わない。
□ <不両舌> 他人を仲たがいさせるようなことを言わない。
●気持ちや思考のありよう(意業)
□ <不慳貪> 激しい欲をいだかない。
□ <不瞋恚> 激しい怒りをいだかない。
□ <不邪見> 誤った見解をもたない。
発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん)
白浄の信心を発して 無上の菩提を求む 願くは 自他もろともに 仏の道を悟りて 生死の海を渡り すみやかに解脱の彼岸に到らん
おん ぼうじ しった ぼだはだやみ (三返)
【発菩提心真言の解説】
●「菩提心」とは、悟りを求めるとともに衆生救済を行おうとする心です。発菩提心真言はその仏性を起こす真言です。
●「真言」は意図するものを心に呼び起こすためのものであるから、言葉の意味よりも「響き」が重要だとする説があります。
●「仏の道を悟りて ~ 解脱の彼岸に到いたらん」とは“早々に魂の修行を終えて、輪廻転生で繰り返される、生まれてから死ぬまでの間の人生の試練の荒波から抜け出したい”という趣旨です。
三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)
われらは みほとけの子なり ひとえに如来大悲の本誓を仰いで 不二の浄信に安住し 菩薩利他の行業を励みて 法身の慧命を相続したてまつらん
おん さんまや さとばん (三返)
【三摩耶戒真言の解説】
●自らに起こした仏性により仏と一つになる真言です。仏と衆生とは本来等しく同じであるから、仏と同じ様に悟りを開いて衆生救済を行うという「菩提心」を絶対に捨ててはならないと戒めるものです。
●「三摩耶」とは“仏と衆生が本来平等であると解釈する”の意味です。
開経偈(かいきょうげ)
無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い遇うことかたし われいま見聞し受持することを得たり 願わくは 如来の真実義を解したてまつらん
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義
【開経偈の前書き意訳】
この上ない深遠なる仏の教えは、どれほど生まれ変わっても巡り合うことは難しいものです。私はいま見聞し受持することができました。どうか仏の真実の教えを理解させてください。
【開経偈の解説】
●「開経偈」は、これから唱えようとするお経をほめたたえる言葉です。ここでは「般若心経」の前に置いていますが、勤行次第は複数のお経で編さんされたものですので、始めのお経の前に置くのでも構いません。そのような構成の勤行次第もあります。
般若心経(はんにゃしんぎょう)
般若心経は 仏教の精要 密蔵の肝心なり このゆえに 誦持講供すれば 苦を抜き 楽を与へ 修習思惟すれば 道を得 通を起す まことに これ世間の闇を照らす明燈にして 生死の海を渡す船筏なり 深く鑽仰し 至心に読誦したてまつる
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
【般若心経の前書き意訳】
般若心経は、仏教の神髄であるとともに密教経典に欠くことのできない最も重要なものです。読誦し、心に持ち、説き聞かせ、供養に用いれば、苦を抜き、楽を与えます。深く修行すれば、悟りを開き、自由自在に事をなし得る不思議な力(神通力)を起こすこともできます。闇を照らす明かりとなり、生まれてから死ぬまでの間の人生の試練の荒波を乗り越えられる船ともなります(もがきながら泳がなければならないところを船に乗って越えるとのたとえ)。深く仰ぎ尊び、心を込めて読誦させていただきます。
【般若心経の解説】
般若心経本文の解説は、次のリンク先に掲載します。
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十三仏真言(じゅうさんぶつしんごん)
[一]不動明王
のうまくさんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん (三返。以下同じ)
[二]釈迦如来
のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
[三]文殊菩薩
おん あらはしゃ のう
[四]普賢菩薩
おん さんまや さとばん
[五]地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
[六]弥勒菩薩
おん まいたれいや そわか
[七]薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
[八]観音菩薩
おん あろりきゃ そわか
[九]勢至菩薩
おん さんざんさく そわか
[十]阿弥陀如来
おん あみりた ていせい から うん
[十一]阿閦如来
おん あきしゅびや うん
[十二]大日如来
おん あびらうんけん ばざら だとばん
[十三]虚空蔵菩薩
のうぼう あきゃ しゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか
【十三仏真言の解説】
●仏の真言を唱えることで、自らに仏の力・働きを呼び起こします。十三仏はあらゆる人々の悩みや苦しみをそれぞれの専門分野で救ってくれる輪円具足のマンダラといわれています。十三仏真言を唱えることで、どんなことにも対処できる力・働きが備わります。
●「輪円具足」とは“円くて、すべてが備わっていて、何一つ欠けていないもの”の意味です。諸仏・諸法の一切の功徳を欠けることなく円満に具足していることを車輪の姿にたとえたものといえます。
●「マンダラ」とは信仰や祈祷・修法の本尊として、仏などの諸尊を総集し体系的に配列して図顕したものです。マンダラは本来、《本質を得る》という意味です。「本質を得る」とは仏の最高の悟りを得ることで、この真理を表現したのがマンダラであるといわれ、これは輪円のように過不足なく充実した境地であるため、輪円具足とも訳されます。マンダラはまた悟りを得た場所、如来や菩薩が集まる道場などとも意味します。
『修行上の十三仏の役割』(回忌供養にも当てはまる)
◆不動明王:人々の煩悩を焼き払い浄化して人々を救うところから、衆生の迷いを断ち切って修行を促す。
◆釈迦如来:仏教の開祖で人々を救う最高位の仏であり人々に悟りを開かせるところから、発心に当って必要な教えを身に付けさせる。ここから釈迦三尊(釈迦・文殊・普賢)。
◆文殊菩薩:発心に当って悟りを導くための智慧を開く。
◆普賢菩薩:発心に当って慈悲心を開く。
◆地蔵菩薩:六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天)の世界に迷い込んだ衆生を正しい道へ連れもどすところから、発心した者が悟りへの道からそれてしまわないように導く。
◆弥勒菩薩:未来に釈迦の後を担って人々を救う菩薩であるところから、釈迦の教えを補完する。
◆薬師如来:人々の病気回復や延命を図るなど現世にやすらぎを与えるところから、修行する者に薬を持たせるかのように安心を与え元気づけて修行へ押し出す。
◆観音菩薩:この世を広く観て苦悩する人がいれば種々に姿を変えて自由自在に出現したちどころに救済するという優れた慈悲の力を持つ。ここから修行者を迎え資質を向上させて極楽浄土へ導く阿弥陀三尊(観音・勢至・阿弥陀)。
◆勢至菩薩:智慧の光ですべてを照らして強い姿勢で人々を悟りに至らしめる智慧の力を持つ。
◆阿弥陀如来:無量の功徳を合わせ持つ。永遠の救いを念ずる者を必ず救うという徳をもって極楽浄土へ導く。
◆阿閦如来:物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授ける。ここからもっと尊い存在として再生するようにと、密教の中心をなす三仏(阿閦・大日・虚空蔵)。
◆大日如来:命あるものすべては大日如来から生まれるとされる。宇宙の真理を現し、宇宙そのものを象徴する。またすべての仏は大日如来が姿を変えて現れた化身とされる、すべての仏の根源。
◆虚空蔵菩薩:一切衆生を包み込む大きな宇宙空間(虚空蔵)から一人一人の役目を輝かし生かす。無限の智慧と慈悲が収められた蔵から人々の願いを叶えるための智慧を取り出して与える。
光明真言(こうみょうしんごん)
となえたてまつる光明真言は 大日普門の万徳を二十三字に摂めたり
おのれを空しゅうして 一心にとなえたてまつれば みほとけの光明に照らされて 三妄の霧おのずからはれ 浄心の玉明らかにして 真如の月まどかならん
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん (三返)
【光明真言の前書き意訳】
唱えさせていただく光明真言は、一切のものを照らし見通す大日如来の様々な徳の力を二十三字に収めたものです。自我を捨て、心を一つのことに集中して唱えさせていただくならば、仏から発せられる慈愛や智慧の光に照らされて、迷いの霧が自然に晴れて、玉のような美しい清らかな心が月本来の円かさで輝くことでしょう。
【光明真言の解説】
●光明真言は、一切の罪障が除かれ福徳が得られる真言です。太陽の光を全面に受けて輝く満月に例えた前書きの内容をイメージしながら唱えればよいと思います。
●大日如来は、真言密教において、一切諸仏諸尊の根本仏(最高位の仏)として帰依し観想される本尊です。すべての命あるものは大日如来から生まれます。宇宙の真理を現し、宇宙そのものを象徴します。
弘法大師 御宝号(こうぼうだいし ごほうごう)
高野の山に身をとどめ 救いの み手を垂れ給う おしえの みおやに帰依したてまつる 願わくは 無明長夜の闇路をてらし 二仏中間の我等を導きたまえ
南無大師遍照金剛 (三返)
【弘法大師 御宝号の解説】
●「南無大師遍照金剛」は、弘法大師を崇拝する言葉です。弘法大師に帰依する(信じてその力にすがる)という意味です。
●「遍照金剛」とは、弘法大師が唐の時代の中国に留学しその都・長安(今の西安)の青龍寺にて真言密教の秘奥を極め、阿闍梨の位を許されたときに与えられた名号です。「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味します。この名は後世、空海を崇拝するご宝号として唱えられるようになりました。なお、この遍照金剛は大日如来の別名でもあります。
●「無明長夜」とは“無知による生死流転の長夜”のことです。
●「二仏中間」とは“釈迦入滅後から弥勒菩薩が仏となって世に現れるまでの無仏の期間(56憶7千万年)”のことです。無仏の間は地蔵菩薩が代わって衆生を済度します。
●「済度」とは、仏が迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くことです。
祈願文(きがんもん)
至心発願 天長地久 即身成仏 密厳国土 風雨順時 五穀豊饒 万邦協和 諸人快楽 乃至法界 平等利益
【祈願文の意訳】
至心発願:心を込めて願います
天長地久:この世が永遠であるように
即身成仏:この身がこのまま仏の境地であるように
密厳国土:この世がこのまま仏の世界であるように
風雨順時:自然の営みが順調であるように
五穀豊饒:作物が豊かに実っているように
万邦協和:世界が平和であるように
諸人快楽:人々が幸せであるように
乃至法界平等利益:すべてに平等に利益が及び至っているように
【祈願文の解説】
●人類が《自然の摂理》に則して生きることで得られるであろう、理想の境地を描いているともいえます。
回向文(えこうもん)
願わくは この功徳をもって あまねく一切に及ぼし われらと衆生と みなともに仏道を成ぜん
願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
【回向文の解説】
●自分の修めた勤行の功徳を他にも差し向け、自他ともに悟りが得られるよう祈るものです。
●「功徳」とは、この先よい報い(幸福)を得られる《善行》のことです。《善根》と同意です。
合掌礼拝(がっしょうらいはい)
【合掌礼拝の解説】
仏さまのみ教えにあずかったことに感謝の意を込めて合掌礼拝します。