人生即遍路

般若心経よりさらに短い「延命十句観音経」というお経があります。観音さまは仏の一面である、衆生救済の慈悲・慈愛を象徴する菩薩です。仏がいくら慈悲・慈愛に満ちていても、この世の生活者自身が慈愛に満ちなければ、世界平和は実現されません。私たち人間にどのような使命が課せられているかは明らかです。短いお経ですが、いろいろ考えさせられます… [続き]

私のめざす「人生即遍路」

遍路の本質の探究なくして遍路にあらず、と思います。それはそのまま“人の生き方”につながります。
私もそうですが、お遍路に興味を持ったほとんどの人は、まずは形から入ります。そして、次のステップに踏み込むようになるか否かで、その人にとってのお遍路の意味合いがまったく違ってきます。つまり、色即是空の探究に向かうか否かです。

お遍路で心掛けることや修得すべきことは、「勤行次第」(下に掲げるリンク先ページを参照)にうまくまとまっています。般若心経を含む勤行次第は、日課として寺院や家庭でも唱えられているものです。
お遍路では、各札所・霊場の参拝時に本堂と大師堂でお経(般若心経)を写経や読経で奉納しますが、読経は勤行次第に従って行います。御本尊とお大師様の仏像に対して唱える形となりますが、自分に内在する自らの仏性を意識し、そこに御本尊又はお大師様を現わすことで、目にはとらえられない仏と一つになれるのではないかと感じます。だから、自らの仏性に向かって唱えるのでよいと思います。
また、遍路道中においても勤行次第の内容を意識し、実践し、身に付けていくことを心掛けています。

宗教の本質は自らの神性や仏性に気付き、それに委ねて生きるということにあると思っています。

自らの神性や仏性への意識が途切れて、もとの自分(本当の自分ではない自分)に戻らないように定着化させるために選んだ手段がお遍路だとも言えます。
そして、余計なことを考えず、ただ自らの神性や仏性に委ねて生きていけば、自然にいいようになるのかを確かめてみたいのです。

お遍路とは一体何なのか?どう臨むべきなのか?
これが、私の当面のお遍路への向き合い方です。

勤行次第
勤行次第は宗派間や用途において多少の違いがあり、四国遍路巡拝用のものもあります。参考にしている勤行次第私が参考にし...

導かれるままに

「人生即遍路」とは、自由律俳人・種田 山頭火(1882-1940)の言葉です。
山頭火の遍路は2回(2回目は途中で中止)であるため、人生の多くを遍路に費やしているとか、遍路あっての我が人生などという意味での“人生即ち遍路”ではなかったと思われます。
そうであるなら、“遍路には、なだらかな道もあれば険しい道もあって、人生に似ている”などという単純な見方を表したものなのでしょうか?

山頭火は、少年期の母親自殺以来の家運低迷と原罪意識(人が犯したことを自分の罪に感じること)にさいなまれた波乱の人生を送りました。また、そんな人生の嘆き苦しみありのままに、「捨てきれない荷物のおもさ まへうしろ」「どうしようもないわたしが歩いてゐる」「風の中おのれを責めつつ歩く」などの句にも表れるような、母親の位牌を背負っての乞食行脚の旅や遍路もしました。
境涯ありのままに自分をさらけ出して癒しを求め、ありのままを詠んだ、山頭火。そんな自らを取りつくろわない、潔い生き方に感慨深いものがあります。

「濁れる水の流れつつ澄む」とは、亡くなる一か月前の句です。自らを濁れる水にたとえ、流れることで浄まろうとしてきた人生を振り返ったのかもしれません。
“濁れる水”は私たちにも当てはまります。世知辛い社会にあっては利己的な生き方となってしまいがちで、自らが穢れ、疲れ果てていきます。自然に委ねて流れる水が澄んでいるように、遍路に身を委ねることで、神仏や人や自然の温かみに感謝を深めていく自分が癒され、浄まっていきます。
遍路に厳しさもありますが、そのことによって自分は生かされていると気が付かされ、厳しさも実はやさしさ(慈愛)だと分かります。

癒しを求めてさすらう山頭火にとって、“遍路のありようが私の生き方と同じだ。私の人生は遍路そのものだ”という心境を「人生即遍路」と表したのかもしれません。
私の場合は、“頭で考えた計画にとらわれるではなく、導かれるままに身を委ねて遍路するというお遍路の経験を人生に生かす”との心持ちを「人生即遍路」と表します。

種田山頭火 - Wikipedia

“存在”に意味がある

人間は他の生き物と違って知能に優れています。意味があって知能が高いとすれば、それを生かすのが人間の使命だと思います。
しかしながら、その能力を利己的に使ってしまうと、社会秩序や自然秩序を乱します。ここまで文明を発達させる人間が、未だに世界平和を成し得ないとはこのことです。
また、物質的な幸せばかりを求めて利己的に生きてしまうと、人生の本当の目的を見出せないままに終わってしまいそうで、それこそ不幸であり不安でなりません。

人間は本来、“何をするか”に意味があるのではなく、“存在”に意味があります。正しく“存在”することで“やるべきこと(使命)”に気付くからです。
何かをしようと、不要な脳思考を働かせて利己的な行動を起こしてしまうと、生き方を誤まります。どう生きるかは既に与えられていることなのですから、生き方に苦悩することは本来あり得ません。

人間の発明するものは、今の世の中の流れを無用に慌ただしくさせる側面があり、社会はそれに遅れないようにと人々をあおり立てます。こうしたこともあってか、現代人は暇なく何かをとらえたり、何かにとらわれたりして、常に脳思考を働かせています。そして、今ここに存在している本当の自分を見失っています。

今の社会の流れに乗り続けて本当に大丈夫なのかを、一人一人がしっかり見極めることが大切だと思います。そのためには脳思考をとめて、自分を深く見つめる時間を持つことが大事です。見失っていた本当の自分に気づくことで、自分の“やるべきこと(使命)”も見えてきます。脳思考を働かすのではなく、真の拠り所に身を委ねるのが間違いのない道です。
そして、確たる拠り所を得ることで、何事にも動じない自分になることもできます。

ここで、“存在”に意味があると言っているのは、つまり「無為にして(正しきを)為す」ということであり、空即是色ということです。

四国遍路と祈りの力

四国遍路とは、四国八十八ヶ所の寺院札所など、弘法大師ゆかりの地を巡る旅です。
四国遍路の目的を何とするかは、私は「祈り」に尽きると考えています。祈りの力によって人間の想念を改めるしか、世の中を善くすることはできません。

しかしながら、科学技術の発展によって築かれたこの文明社会にあって、人々に神仏(注)を拠り所にするという考えはなくなり、神仏や祈りの力を本当に信じる人も少数かと思います。人間の高い知能の源泉が神仏にあると分かれば違ってくるのでしょうが…
科学の盲信によって自然や神仏などを甘く見て謙虚さを失い、エゴが強まっています。

祈りとは、真の拠り所たる神仏の力を発揮させるための手段です。神仏を信じ、神仏に意識を集中させて、慈愛に満ちた想いを気持ちを込めて祈ります。より多くの人がそうなることで、この世において神仏の力が働くのです。
人間は本来、生まれながらに神性や仏性という良心をもっていますから、神仏に抵抗はないはずなのですが、現代人の脳思考がそうさせないのです。悩みや迷いが生じたときに、ちょっとしたことでも、「神さま仏さまだったらどうするだろう?」と、自らの神性や仏性に働き掛けるようにすると分かりやすいかもしれません。

日本の至る所に祈りの場や祈りの対象とされるものが残っていますが、太古からの人類の祈りは、神仏を拠り所にして、自らの生き方を神仏に委ねていた証です。祈りの復興にあたっては祈りの実効性が問われますが、お遍路をしていると神仏の存在が感じられてきますので、多くの人にとって祈りの認識を改める機会になることを期待します。

また、神仏に導かれるがままに遍路するという「人生即遍路」の実践においては、道中でも絶えず不要な脳思考を働かせないようにして、神仏を意識する必要がありますので、祈りは札所参拝時だけにとどまらず、遍路の道すがら各地の安寧を願ったり、ご真言やお経を唱えたりします。
そして遂には、日常生活においても折に触れて祈り、常に神仏を意識し、神仏を拠り所として利己的な脳思考をしなくなることで、一人一人の想念が善くなり、生き方が善くなり、世の中が善くなっていくはずです。
これこそが私の「人生即遍路」のめざすところであり、世界恒久平和を想う神仏の慈愛でもあります。

(注) ここで「神仏」と言っているのは、直接的には、自分の使命を果たすために自らに内在する神性や仏性のことを指します。
例えば、神仏を拠り所にするとは自らの神性や仏性を拠り所にすることであり、神仏に祈るとは自らの神性や仏性に祈ることであり、神仏を意識するとは自らの神性や仏性を意識するということです。
これは“人間自身も本来は神仏である”という考え方に基づくものです。

まとめ

●宗教の本質は自らの神性や仏性に気付き、それに委ねて生きるということ。
●私の「人生即遍路」とは、自らの神性や仏性への意識が途切れて、もとの自分(本当の自分ではない自分)に戻らないように定着化させて、神仏(自らの神性や仏性)に導かれるままにお遍路することである。
●“やるべきこと(使命)”に気付くために正しく“存在(色即是空)”することとして、お遍路中は不要な脳思考を働かせないようにし、祈りなどによって神仏(自らの神性や仏性)を常に意識し続ける。
●そして、日常でも常に神仏(自らの神性や仏性)を意識するようになる。
●このことによって、人々の想念が善くなり、世の中の想念が善くなって、いつの日か世界平和が現実化する(空即是色)。これこそが人間の存在する本当の意味であり、目的であると考える。

テーマソング♪

テレビで偶然流れた曲です。まさにこのサイトのテーマにピッタリ! 全てのことは神さまからのメッセージ!!

『やさしさに包まれたなら』作詞・作曲:荒井由美(松任谷由実)
(1)
小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても 奇蹟はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

(2)
小さい頃は神さまがいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 ひらくときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

《YouTube動画》
(注) 動画閲覧の際はデータ通信量が大きくなります。

松任谷由実 – やさしさに包まれたなら (THE LAST WEDNESDAY TOUR 2006〜HERE COMES THE WAVE〜)

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参考

般若心経

般若心経
「経文」「読経 (動画)」「曲 (動画)」を掲載します。経文仏説ぶっせつ摩訶まーかー般若波羅蜜多はんにゃーはーらー...

勤行次第

勤行次第
勤行次第は宗派間や用途において多少の違いがあり、四国遍路巡拝用のものもあります。参考にしている勤行次第私が参考にし...

四国八十八ヶ所霊場会の“お遍路の心得”

お遍路の心得 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会

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