導かれるまま四国遍路

 走り遍路6巡目実施中(区切り打ち)

① 当サイトの掲載内容を全面的に見直すこととして、トップページの内容をリニューアルしました。その他掲載していた投稿記事はいったん掲載から落として、内容を見直した上で必要なものを再掲載します。

②「瞑想でたどる仏教(NHK番組)」が年末(12/29-30の深夜)に再放送されるようです…[続き

当サイトの概要

四国遍路は、弘法大師(空海)ゆかりの地を巡りながら行う人生修行です。非日常空間でじっくり自分に向き合って人生を見つめ直す、心身浄化の修行の旅です。一度はチャレンジしてみてほしいです。きっとたくさんのことを得るでしょう。

さて、当サイト(別館「走り遍路」サイトを含む)は、当サイト開設者による四国遍路修行(研さん・実践)の模様を掲載しています。
この遍路修行で感じたことや得られたことなども記述していますが、その内容の性格上、不確実・不確定なことを含む場合があります。また、修行進展に伴う考えや心境の変化などによって掲載内容は随時上書き更新されます。

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私にとっての四国遍路(現在の心境、修行方針)

これまでのお遍路の経験を踏まえた現在の心境をとりまとめて、当面の修行方針とします。
なお、お遍路を始めた経緯は、「ごあいさつ」ページ掲載のとおりです。

はじめに《導かれるままに》

この世のあらゆる存在や出来事は、たまたま起きている事象なのでしょうか?
否、何らかの法則に沿って起きていると考えるのが合理的ではないかと思います。その法則をここでは《宇宙の法則》(*1)と呼びます。そして、自らの生き方が常に《宇宙の法則》に沿ったものとなったときに正しい生き方が会得されて、《悟り》(*2)の境地に達していると考えられます。
他方、自然環境や人間社会などを含めたすべての今のこの状態は、この宇宙のあらゆる存在が影響し合ったそのときの結果だといえます。これは、《宇宙の法則》によってこの状態が成るべきして成ったともいえます。

この《宇宙の法則》の下に《生かされている》という感覚のない人は、人間の都合優先で生きがちとなり、宇宙が創造する自然環境を安易に壊してしまう恐れがあります。現に地球上では人間による破壊行為が継続して行われています。このことにも基づいて宇宙環境バランスの再調整が繰り返される中で、この世が今の状態に更新されてきたといえます。そしてこの過程において、人間の自然環境破壊に対する回復処置も図られていたと思われますが、異常気象による自然災害やコロナ禍などは、人間に対する《宇宙の法則》からの報復と見えるかもしれません。
つまり、今の状態は《宇宙の法則》の観点に立つと、《必然・必要・最良》のことであるといえます。だから個々の人間においても、自分にとって常にこの《必然・必要・最良》が課せられていると認識すべきであり、今の状態が不幸だと思うのであれば、自らの生き方を改めなければなりません。人間は《宇宙の法則》に沿うように《つつしみ》(*3)をもって生きなければならないと思います。

以上を踏まえて私は、《宇宙の法則》の下に《生かされている》という実感を得ている状態からさらに進んで、《宇宙の法則》に《導かれるままに》で居られる感覚を得てみたいと思います。
次項以降にその修行ポイントを掲げます。

【脚注】辞書からの引用 
(*1)宇宙:あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり。哲学では《秩序ある統一体と考えられる世界》。
(*2)悟り:《迷妄》(*2a)を払い去って、生死を超えた永遠不変の《法則》(*2b)を《会得》すること。
(*2a)迷妄:道理がわからず《事実でないことを事実だと思い込む》こと。
(*2b)法則:一定の条件下で《事物の間に成立する必然的関係》。
(*3)慎む:あやまちや軽はずみなことがないように気をつける。《度を過ごさない》ようにする。慎重になる。

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修行ポイント1《心の持ち方》

修行に際して今、非常に大事だと思っている事、それは《どういう気持ちで生きているか》です。どういう気持ちでお遍路するか、祈るか、起床するか、寝るか、食べるか、人や物事と接するか…。これは今自分が現実にしようとしていることの表れだからです。今自分がこの思いの世界に生きているともいえます。悪いことをする人は悪いことを思っているから悪いことをするのだし、善いことをする人は善いことを思っているから善いことをするのです。つまりは《心の持ち方》が《その人の生き方》であるということです。

また、あらゆる生物はそれぞれが持つ感覚器官や認識機能の能力の範囲内で世界をとらえています。つまり、人間を含む、どの生物にしても実相の世界を正しく認識できない状況の中を生きているといえます。人が実相だと思って生きている世界は、実は、人それぞれの《思い込み》によって作られている想像の世界に過ぎないのです。
それだから、《宇宙の法則》に沿うような正しい生き方など、自分の理想とする世界を自由に描いて生きるべきであると思います。描いたとおりに生きていける可能性が秘められています。

修行には《苦しみ》が付き物と思いがちですが、そんなことはありません。苦しんで修行した方が、修行した感が強いだけです。《苦しさ》よりも《楽しさ》から大きな修行効果が得られると考えるべきです。
人が《楽しい》と感じるときは、心とカラダが一致しているときだそうです。家などにじっとしていると思考ばかりが働きます。ゆううつなときに思い切ってジョギングしてみると、頭の中が整理されて悩みがパッと解消され、気持ちがサッパリします。運動には《余計な思考スパイラル》をストップさせる効果があります。精神と肉体の調和が感情に好影響を及ぼすことを実感しています。

自らの足を使ってお遍路していると、頭が空っぽになって無我・無執着の境地になることがあります。このときの気持ちはとてもハッピーです。これがお遍路の醍醐味ではないかと思います。《苦しい》ときにこのような境地になることは困難です。良好な心持ちのときに《導かれるままに》も得られやすいのかもしれません。今後意識して検証してみたいと思います。

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修行ポイント2《空》と《般若心経》

四国遍路は《弘法大師(空海)》ゆかりの地を巡りながら行う人生修行ですから、《空》と空を説く《般若心経》は外せません。
《空》の考え方は仏教専有のものではなく、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教にも見られるようです。広く宗教に行き渡っていることからしても、間違いなく真理だと思います。
しかしながら、《空》は頭で何となく分かったとしても《空》を会得することにはなりません。《空》に基づく生き方が実際にできてこそ会得したことになるからです。そもそも《空》は様々に訳されています。《一切の存在に固定した性質や実体をもたないこと》簡単には《実体がない》と一般的に訳されます。《空の境地》の訳としては、一切の存在に実体がないから《一切の物事に執着しない境地》となります。いずれにせよ、悟ったときの心の有りようが《空の境地》なのですから、人知で定義することなどできません。《頭でっかち》(知識や理論が先走って行動が伴わないこと)にならないよう実践修行を積んでいくことが大切だと思います。

般若心経によると《空》の悟りの境地においては、人間の感覚やそれに伴う心の働きなどはすべて《無》であると記述されていますが、それらの存在自体を必ずしも否定しているのではないことに注意を要すると思います【是故空中無色 ~ 以無所得故】。
「人間の感覚やそれに伴う心の働きなどはすべて《実体がない》から、それらが無い」であると私は解釈します。そう考えると、経文で掲げる《無》とは存在自体が無いのではなく、その存在に《実体が無い》ことを表しているといえます。そして、このような《実体が無い》とする人間の感覚やそれに伴う心の働きによる認識などにとらわれないことで、人間は《ありのまま》をそのまま見極めることができます。それを受けて経文では「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」(心にひっかかりや妨げとなるものが無くなり、それによって無用な恐怖や妄想を引き起こすことも無くなって悟りの境地に至る)とつなげることができます。
つまり、一切の存在に実体がないから《一切の物事に執着しない》ことと、それによって《ありのままを見極める(真理を見極める)》ことの二つを実践することにポイントがありそうです。

【補足】
《般若心経》の正式名称は《般若波羅蜜多心経》です。《般若波羅蜜多》とは《智慧の完成》つまり《智慧の実践》という意味であり、悟りを開くための《衆生救済》を実践する《菩薩行》を表すと思います。そして結局、それは《呪》(呪文、真言)であり、唱えることで《あらゆる苦を鎮めること絶大であり、嘘偽りがない》と説いています【故知般若波羅蜜多 是大神呪 ~ 能除一切苦 真実不虚】。

また《般若心経》は《空》という核心をついた教えにもかかわらず、内容が簡略で理解が困難です。唱えたときの語感の良さと手頃な経文の長さは、教えを理解させるのが主目的ではなく、別のことのために編集されたものとさえ思えます。全体を《真言(呪文)》として、単に《唱えるだけでよい》という説もあります。

【参照サイト】キリスト教にも《空》がある

それでも生きる〜旧約聖書・コヘレトの言葉 (2)「“空” 人生のはかなさを知る」 - こころの時代〜宗教・人生〜
「一切は空である」で始まる「コヘレトの言葉」は、聖書の中にありながら、一見虚無的な印象を与える。この謎の書が現代に伝えるメッセージを読み解くシリーズの二回目。 コロナ禍の現代に送る「異端の書」がある。一見、虚無的な言葉が並び、難解とされながらも、後世の美術や文学に多くの影響を与えてきた旧約聖書「コヘレトの言葉」。読み...

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修行ポイント3《身心の観察》

最初に述べたように、《宇宙の法則》に沿った形で自分という存在もこの世に《必然・必要・最良》として生を与えられたものと思います。だから、自分にも《宇宙の法則》が流れているといえます。これはあらゆる存在にもいえます。そして、あらゆる存在は《宇宙の法則》の下で一つにつなっがていると見られます。これが《ひとつ命》とか《ワンネス(oneness)》と言われているものの根拠だと私は解釈しています。
この宇宙全体の一体感によって、あらゆるものとの調和とバランスが図られます。だから、これが壊されることがあってはならないと思います。しかしながら、その破壊者の際たる者が人間といえる状況にあります。
人間に流れている《宇宙の法則》に導かれるように生きればよいと思いますが、自分勝手な人間にはそれがなかなかできません。だから、《つつしみ》をもって生きるための修行が必要です。

その修行に有効なのが《内観》だと思います。《内観》とは自分の内を客観的に見つめながら自己の《神性・仏性》(*)を観察することです。このことによって、《宇宙の法則》に沿った生き方ができているか否かを把握し、是正することができます。
そのための技法が、仏教で言う《身心の観察》(瞑想)です。自分の内を見つめることを常態化させれば、軽率な思考や行動を行うこともありません。このことを通じてはじめて、自分の生き方を改めていくことができるのです。《心身の観察》は修行の基礎であり土台です。
これらの理解にNHK番組・こころの時代『瞑想でたどる仏教-心と身体を観察する』がとても参考になりました。(※12/29-30の深夜に再放送があります)

【脚注】
(*)神や仏という言葉は宗教に関わる用語で意味も抽象的です。科学技術が発達した現代社会にあっては目に見えて分かることしか信用しない人も多いと思われますから、当サイトでは本質的理解が必要な用語にはできるだけ補足説明を加えるようにしたいと思います。
神仏については、自分が理解しやすいように次のとおり解釈しているところです。
●神とは、《宇宙の法則》のこと。
●仏とは、《宇宙の法則》に沿った人間の正しい生き方を導く《尊い先人の教え》のこと。
そして、自分にも《宇宙の法則》が流れていますから、自分の中にある神の性質(宇宙の法則そのもの)を《神性(しんせい)》、仏の性質(宇宙の法則に沿って正しく生きようとすること)を《仏性(ぶっしょう)》と称しています。

なお、神社仏閣などでは神仏の像などに対して祈りを行いますが、その背後にある《宇宙の法則》やこの法則に関わる《尊い先人の教え》などを意識して祈りを行うようにしています。その根拠なくして神仏たり得ないことを忘れてはいけないと思います。もちろん、神仏の像など無くても、いつでも・どこでも祈りは有効に行えます。《宇宙の法則》の下であらゆる存在とつながることができると信じています。

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修行ポイント4《祈り》

《いのり》の語源は《意宣り》であるという説があります。「自分の意思を宣言する」という意味です。
しかしながら、私としては自分の意思ではなく、本来は《宇宙の法則》に沿う内容を宣言することだと解釈します。つまり、「《宇宙の法則》に沿って生きます」という自らの意思表示となり、この思いを現実のものとする働きを自分の中に起こすのです。《尊い先人の教え》であるお経などを《祈る》ことも「《宇宙の法則》に沿って生きます」という宣言にあたります。

また上述の《身心の観察》の項で、「あらゆる存在は《宇宙の法則》の下で一つにつなっがていると見られる」と述べましたが、もしそう思うのであれば、その前提で生きるべきだと考えており、自分のためだけの《祈り》をするのではなく、みんながそうなればよいことを祈るべきだと思っています。他のものと一つになれるということは、他のものの分を含めて自分が祈ることができるという理屈です。そうしたら、先祖供養や世界平和など、すべての《祈り》も成立することになります。

そして何より大事なことは、自分だけのために生きていては《悟り》の境地には達しないということです。《自利利他》(自分を善くしてそれを他に差し向けること)の気持ちで、自分を含めたすべてのものの代表として《祈り》を行うことが何より尊いと思います。

以上のように思うことで、《祈り》に意義を見出すことができます。今後《祈り》の効果を検証するために、こうした《祈り》を行うことで自分が何を感じるかなどを客観的に観察していきたいと思います。

【補足】
《祈り》には《アファメーション》(affirmation)の意味合いがあると思います。《アファメーション》とは肯定、断言、宣言という意味です。自分の希望や願いを実現させるために、そのことを《肯定する言葉》を唱えるなどして《意識し続ける》ことです。否定的な言葉は一切用いずに、必ず肯定的な言葉を使います。感情をともなった鮮明な《イメージ》を思い浮かべながら行うことで、より高い効果が得られるとされます。

世界人類が《宇宙の法則》に沿った生き方をすることで、心が一つとなり調和が図られて世界平和が実現するとの《祈り》を、その《イメージ》を描きながら行っていきたいと思います。

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まとめ《習慣を改める》

人間は他の生物に比べて強欲でその欲を満たす力もあります。またその反面、落ち込み度もひどく自ら命(生きる気力)を絶つ人までいます。これがお釈迦さまの言う「人生は苦なり」にも関係することだと思います。
人間は、自らの質(たち)の悪さを深く認識し反省すべきです(勤行次第の《懺悔文》などがこのことに対応しています)。そして、この質(たち)の悪さの分だけ善くなる可能性もありますから、そうなるように生き方を改めるべきだと思います。
そして、《人の生き方》とは《心の持ち方》であり、その人の《習慣》によって形作られているものですから、生き方を善くしようと思えば、《心の持ち方》や《習慣》を改める必要があります。
下の《ヒンズー教の教えの一節》がうまく表現できています。これによると《心を変える》から始まっています。ここまでで述べたことをプラスのスパイラルの起点にして《習慣を変える》まで持ってこられたら、最後の《正しい生き方の実現》まで到達するものと思います。

【ヒンズー教の教えの一節】
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

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参考資料

般若心経

般若心経
経文仏説ぶっせつ摩訶まーかー般若波羅蜜多はんにゃーはーらーみーたー心経しーんぎょー観自在菩薩かんじーざいぼーさー 行...

勤行次第

勤行次第
勤行次第は宗派間や用途において多少の違いがあり、四国遍路巡拝用のものもあります。真言宗仏前勤行次第インドで発祥した...

四国八十八ヶ所霊場会の“お遍路の心得”

お遍路の心得 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会

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