
すべては自然の摂理の下に意味があって創造されたものであり、自分自身もそうであると思っています。自らの存在の意味を知ろうとすること(本来自分はどう生きるべきかを探求すること)によって、人生の道を踏み誤らずに生きられるのではないかと感じて、“自分に向き合うこと”と“自然の摂理に身を委ねること”への集中に努めています。
当サイトの概要
『四国遍路』は弘法大師・空海ゆかりの地を巡りながら行う《生き方改善修行》です。非日常空間でじっくり自分に向き合って人生を見つめ直す《心身浄化》の修行の旅です。一度はチャレンジしてみてほしいです。きっとたくさんのことを得るでしょう。
当サイト『へんろ道』(研さん編) 及び 別サイト『走り遍路』(実践編) は、当該サイト開設者が行う遍路修行の模様を掲載しています。この修行で感じたことや得られたことなども記述していますが、その内容の性格上、不確実なことを含む場合があります。また、修行や研さんによる考えや心境の変化などに応じて随時、掲載内容の加筆や見直しを行います。
なお、当サイト名称『へんろ道』は《お大師さまの導くみち(教え)》の意を込めていますので、読み方としては「へんろどう」が適当とも思えますが、素直に「へんろみち」とします。
本当の世界、本当の自分、本当の生き方
私たち人間は平素、「人間社会のルール」や「自分自身の信念」に則して生きていますが、もっと根本的な大切なルールを忘れていると思います。それは「宇宙のルール」や「自然のルール」ですが、ここではまとめて《自然の摂理》と呼びます。
なお、「自然の摂理」を表すものが神や仏ともいえると思います。
私たち人間を含むこの世のあらゆる存在は、互いに《調和》するように創造されたものであると考えるのが自然ですが、地球上でもっとも影響力のある人間が自らの《エゴ(自我・我欲)》によって自分本位に生きるために、あらゆる存在との共生を妨げる様々な問題を引き起こし、ひいては人間自身も苦悩に陥っています。(エゴについて ≫ 勤行次第「懺悔文」解説参照 ※ここに戻るときはブラウザーの「戻る」操作にて)
他方、私たち人間はこの世の実相を正しく認識して生きていません。人間の感覚器官や人間が開発した観測装置の能力では《本当の世界》をとらえきれないからです。人間世界の有り様は、人間の分かる範囲内のことで何とかしようとしているに過ぎません。人間が認識し得る範囲を超えた世界は間違いなくあります。
そして、悟りとは「迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること」ですが、ここでいう「真理」、つまり「本当の世界」を人間は通常、知り得ることはできないのです。
輪廻転生についてはこの修行で検証中ですが、それがホントだとすれば「本当の自分」は人間に宿った「魂」だといえます。そして過去世の経験を踏まえ、意味を持って今の人生を送っています。それに気づかずに自らが宿った人間の「エゴ」の意識のままでいると、本来の道を外れてしまいます。
自らが宿った人間を《自然の摂理》や《調和》に則して正しく生きさせながら「本当の自分」がこの世に生きる意味に立ち返えらなければなりません。その意味が何であるかの答えは「本当の自分」の内にしかありません。
「自然の摂理」の下で一日一日を平穏無事に生かしていただいていることを当たり前ではなく《有り難いと感謝》するとともに、その不思議さに畏敬の念を抱いて《謙虚》でなければ、その意味に気づかないままにこの人生を終えることになります。「本当の世界」や「本当の自分」を意識しながら、ストレスのない、ラクで楽しい《本当の生き方》をしたいものです。(本当の自分について ≫ 般若心経解説参照 ※ここに戻るときはブラウザーの「戻る」操作にて)
祈りの修行
お遍路で四国各地を巡っていると、暖かい言葉をよく掛けていただき元気が湧きます。その中で「ご苦労様です」と言われることもあり、お遍路さんに何か期待されるものがあると感じて、浮ついた気持ちで遍路してはならないという気持ちにさせられます。
自分のできることなど四国の遍路文化の継承の一助となるよう元気にお遍路したり、ゆく先々の地域の平穏や発展を祈って回ったりするぐらいなのですが、前者は「元気がもらえる!」などと喜びの声を頂戴しますので周囲の反応が効果の指標となる一方で、後者の《祈り》については実効の程がはっきりしません。
祈りについては家でも研さんしていますが、「祈りとはホントに通じたり叶ったりするのか?」から始まりますので簡単ではありません。“研さんしてはお遍路などで実感してみる”の繰り返しです。
現時点ではっきり言えるのは、祈りに最も求められるものが《浄心》(穢れなき清らかな心) だということです。人間は本性として、自分本位(エゴ)の意志による言動を行いがちあり、これが他との関係において《不調和》を来し、平和実現の妨げや自然破壊の要因ともなっていますから、これを自制して正しい生き方をするための修行方法を見出して実践しなければなりません。
【関連記事】(注)次のリンク先からここに戻るときはブラウザーの「戻る」操作にて

勤行のすすめ(気軽に勤行!)
祈りは意志表現の一種であり、その人の思いや生きる姿勢を表します。逆に考えると、祈りの内容によって生き方が改められるともいえます。そして、祈りの修行といえるのが勤行です。詳しくは次のリンク先に掲載します。

般若心経(解説付き)
般若心経は、日本で一番よく唱えられているお経だと言われています。お釈迦さまは「人生は苦なり」と言われましたが、その苦を克服する「空」の境地について説かれたお経です。「空」の境地に生きられるようになる《真言》が込められています。
般若心経は上項の「勤行」で唱えるお経の中心として含まれますが、特別なお経ですので別枠で紹介します。般若心経(解説付き)を次のリンク先に掲載します。

写経のすすめ
普段の思考のありようがそのままその人の言行となって現れますが、自分もまだそうですが現代人はとにかく余計なことばかり思考しています。
新聞、テレビ、SNSなどを見たり、スマホをいじったりばかりでは、自分に向き合うことがありません。現代人は自分に向き合う習慣を完全に喪失していると思えます。そのようなこともあって、このサイトでは読経や勤行を勧めています。
そして読経や勤行を行っている方に向けて、今まで行ってきた読経や勤行を書いてみることを追加してお勧めします。
「写経」が習慣化するとさらに心が落ち着き、自分に向き合う効果を強められます。その写経を札所で納経することもできます。
最終的には、経本を見ながら行っていた読経や勤行を、経本に代わって頭に文言が浮かべられるようにします。経文を暗記していたとしても、文言が併せて浮かべられると良いと思います。
四国遍路
四国遍路を「お四国」、お遍路さんを「お四国さん」とも呼ばれています。日本国内の巡礼は四国遍路だけではありませんから、それとの区別もあるのでしょうか…
『走り遍路』の模様を次のリンク先に掲載します。(新しいウィンドウで開きます)
