いまここ、お四国

実在するのは過去や未来でなく、常に「今」です。そして自分は「ここ」にいます。
なのに、あたまは「いま・ここ」にいません。不安や煩悩・エゴにとらわれて、済んだことや先のことや人のことを気にしています。
お遍路はそんな自分を「いま・ここ」に戻してくれます。

強い自分になることの大切さに関する“新着投稿”です↓

自分の拠り所は自分
己こそ己の寄るべ 己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり。自ら悪をなさば自ら汚れ 自ら悪...

お遍路の心得

これまでの私の「走り遍路」の経験から「何となくお遍路をするのではもったいない。やるならしっかりやろう!」と感じるところがあって、“何のためにお遍路をし、どのような気持ちで臨むのか”をあらかじめ整理しておくことにしました。
なお、ここに掲げる内容は今後の経験を通じて、随時更新していきます。

空 (くう)

一般的な参拝は手を合わせてお願い事をする程度と思われますが、お遍路では“般若心経を唱えて札所を巡る”こととなります。
般若心経は、仏教の本質である「空」の思想をコンパクトに説いたお経です。日本で最もよく唱えられているお経と言われています。神社でも唱えられます。

「空」と同様な教えは他の宗教などでもよく見られますので、まさに「真理」と思われます。そして、この真理にしたがって生きることを神仏は人間に期待しているものと考えられます。

般若心経では、人がどうあるべきかについて、次のとおり説かれていると私は解釈しています。

■すべての事物は、とらえようのない“実体なきもの”、つまり「空」であることを理解しなければならない。
この「空」は無常無我のありようを表すものであり、“永久不変であり続けるものはなく、それ自体以外のものとの因縁によって成り立っている自我なきもの”を意味する。

■このことによって、自分が見聞きしたり思ったりすることも“実体がない”と考えられるようになり、実体なきものに“執着”もできないから、執着から生まれる“欲や期待”もなくなり、これらが満たされない“苦悩”から抜け出すことができる。

つまり、自分自身も「空」であると自覚して、因縁によって生かされていることを理解し、それにしたがって淡々と生きるのです。

今の自分は、絶えず移り変わる“欲望やエゴ”にとらわれながら生きています。一時の欲望を満たしたところで、次々と新たな欲望が現れます。欲望やエゴを抑えない限りは、苦悩し続けます。
また、“自分らしく生きる”とか、“自己実現をめざす”という願望も、その人の欲望やエゴから生まれるものであり、確たる内容のない“夢物語”に過ぎません。“自分の置かれた環境によって人生が左右されている”のが現実です。
自分の力で何とか生きようとモガくよりも、“縁によって生かされている”ことを素直に認めて、縁の改善に目を向けた方が無理はありません。そして、その縁に欲望やエゴに基づかない、本当の自分らしさの要素も含まれる気がします。

縁に恵まれるためには、欲望やエゴを抑えて、人として正しく生きることです。欲望を満たすための人生では、いつまでたっても苦悩はなくならず、真の幸福を得られません。いつかは純粋に“人として正しく生きる”決意しなければならないと思います。それが神仏の意向にも沿うことです。

道中を含むお遍路全般の“心の持ちよう”

【1】自分の内を見つめます。
【2】様々な縁を感じて、感謝します。
【3】常に心とからだの状態を細かく観察し、煩悩やエゴにとらわれていないかなどをチェックします。そして、気持ちを穏やかに保って冷静な言動を行います。
(怒らない、イライラしない、焦らない、無理をしない、欲張らない、他を気にしない、ネガティブな感情を持たない…)

<解説>
【1】“他を気にする”から“自分の内を見つめる”への意識改革を行います。折に触れて、心に静けさをつくり感覚を研ぎ澄まして“自分の内を見つめる”ことで、自分が本来の居場所である「いま・ここ」に帰ってきます。

【2】道中の様々な出来事に応じて、自分の感情は絶えず揺れ動いています。このように、この世のありようも無常無我、つまり「空」です。自分ではどうにもならないことがあります。どうにもならないことにとらわれないよう、良いこと・悪いことを越えて、縁によって生かしていただいていることに感謝します。

【3】般若心経の実践ポイントは、煩悩やエゴとの付き合い方にあると思います。煩悩やエゴのなすがままに自分がなるのではなく、自分が煩悩やエゴをコントロールできるようにします。また、心とからだは一体ですから、からだの調子も含めて細かく自分を観察するようにします。

札所参拝のときの“心の持ちよう”

【1】仏と心を一つにします。
【2】心を込めて
般若心経を唱えます。

<解説>
【1】仏とは、悟りを開いている(真理を会得している)存在、又は、真理に即した正しい生き方を象徴する存在です。参拝に際して、“人として正しく生きる”という尊い気持ちを心に起こします。
なお、仏前勤行次第(懺悔文、三帰、三竟、十善戒…)でも、自らの不浄を悔い改めてから仏性を起こしていくような手順となっています。

【2】般若心経を唱えるのは「空」の修得のためと心得ます。雑念が湧いて、気持ちがどこかへ行ってしまわないよう、しっかり集中します。周りが騒がしくても、心に静けさをつくります。
なお、“自分の内なる仏性を通じて祈る”ため、大きな声で唱える必要はありませんし、無理にお堂の正面に立つ必要もありません。他の参拝者を思いやる心も大切です。

まとめ:お遍路の核心

自己の仏性を高めながら、淡々と生きる。

“淡々”とは「態度があっさりしていて、こだわりがないさま」という意味で、「空」に通ずるところがあります。

自分の心の奥底にもいます。お遍路を通じて「空」の理解を深めながら、“自分の内を見つめて自己の仏性を意識し高めていく”ことで、欲望にとらわれた苦悩の生き方から抜け出し、“縁に恵まれた淡々とした生き方”に変わっていくはずです。

また、人間は人間の幸せのために地球環境を破壊したり他の生き物を犠牲にしたりしていますが、地球上のすべてのものとの調和や共生にも配慮することができるはずです。人間の高等な脳を、自らの煩悩やエゴを満たすために使うのではなく、どんなときでも“自分の心の奥底を通す”ようにして、神仏の意向に沿う生き方をするべきだと思います。

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参考

般若心経

般若心経
※ 神社や神棚など神前で唱えるときは、最初の「仏説」は付けません。仏説ぶっせつ摩訶まーかー般若波羅蜜多はんにゃーは...

仏前勤行次第

仏前勤行次第
勤行次第は、各宗派にて、手順や内容に多少の違いがあるようです。また、四国遍路巡拝用として示されている勤行次第もあります...

四国八十八ヶ所霊場会の“お遍路の心得”

お遍路の心得 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会

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公認先達申請

「四国八十八ヶ所 走り遍路」も今年1月に4巡を終え、四国八十八ヶ所霊場会公認先達の巡拝回数要件を満たすこととなりました。引き続き四国遍路をPRしていきたい気持ちであることから先達申請を行います。11月に合否判定、12月の先達研修会をもって公認先達に補任(ぶにん、=任命)されます。

公認先達について – (一社)四国八十八ヶ所霊場会

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