いまここ、お四国

現代人は常に頭の中の“いつか・どこか”に幸せを求めて、「いま・ここ」を台無しにしています。実在する「いま・ここ」が一番大事なのに…
「いま・ここ」に集中できる、お四国 (四国遍路)で、本当の生き方さがし。

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お遍路の心得

これまでの私の「走り遍路」の経験から「何となくお遍路をするのではもったいない。やるならしっかりやろう!」と感じるところがあって、“何のためにお遍路をし、どのような気持ちで臨むのか”をあらかじめ整理しておくことにしました。

なお、本掲載内容は、加筆や修正などを随時行います。

空 (くう) と般若心経

一般的な参拝は手を合わせてお願い事をする程度と思われますが、お遍路では“般若心経を唱えて札所を巡る”こととなります。

般若心経は日本で最もよく唱えられているお経と言われています。仏教の主要な教えである「空」の思想は、簡単に会得し得ないところもありますが、般若心経に掲げる真言(般若波羅蜜多の呪)によって「空」の境地に意識が高められることで、“苦” (思うように生きられない不自由さ) から解放されるという、何とも有難いお経です。
そして、このお経を信じて深く修行するならば、悟りを得て、何事も自由自在になし得る不思議な力(神通力)さえ身に付くとされています。

なお、「すべての事物には実体はない」と説明することに「空」が充てられるのが一般的な解釈の仕方となっていますが、「空」とは人が認識する現象世界とは別の高次元の境地を指し、唯一の実体と言えるようなものであるため、その意味でも“実体なきもの”の説明に「空」を充てるのは混乱を招きかねないと思います。
つまり、「色即是空、空即是色」を「形あるものは実体がなく、実体がないものが形あるように見えている」などと説明するのではなく、「形あるものは本質的には『空』であり、本質である『空』が起こす現象を形あるものとして人が認識している」とする方が正確です。

この世には「空」の境地(*1)があり、そこには人が認識する現象世界(*2)の事柄はもはや存在しないことから、「空」の境地に意識を高めることで“苦”から解放されるのです。
般若心経は、現象世界に生きる人間に対して「空」を認識させるための方法の一つとして、真言たる“般若波羅蜜多の呪”を説いたのです。これまで実在しないと思っていたものが実在するとわかり、逆に、これまで実在すると思っていたこの世界が実在しないことがわかってきます。
(*1)本質世界:「空」の境地。虚空のように一切を包括し擁する根元的・全体的な世界。神仏の住む世界。
(*2)現象世界:本来一体で無限のものが個々別々な有限のものとして存在するように現れる縁起の世界。人の住む世界。

個々の現象は本質的には虚空において包括されるように一つにつながったものですから、本来この世のすべてのものは“全体として一つ”です。その“全体”を進化させるにあたって、個々別々に分けて進化させようと、それぞれに自由意志を持たせたものが現実のあり様となっています。
しかしながら、現象世界における個は、自らを絶対化するエゴ(利己主義)に支配されやすい面があります。エゴは“全体”に対して悪影響をもたらします。そうならないためには、誰もが「空」の意識を持つ必要があります。
この世が良くなるためには、自分だけではなく、“みんなが一緒に” 彼岸へ渡らなければならないのです。

神は、自己中心的な生き方ではなく、徳を積むような生き方に、この上無い“喜びや幸せ”が感じられるように、人間を創造しています。だから神は、他人の妬みや恨みを買うようなエゴにとらわれるのではなく、神仏を求めてその意向に沿いながら進化し、また神のもとへ戻ってきて欲しいと願っているのです。

お遍路に臨む際の“心の持ちよう”

【1】心の静寂を保って、神仏を意識します。
【2】自分の内に目を向けるとともに、様々な縁に感謝します。

<解説>
お遍路のときに限らず、平素からの心の持ちようです。

【1】 人間は神によって創造されたのですから、神仏の意向に沿って生きることが人間のあり方です。 常に心を落ち着かせて神仏を感じ、神仏に相談しながら生きます。頭を使うと「いま・ここ」から離れたり、エゴにとらわれたりする危険性があります。エゴは神仏や周囲との摩擦を生みかねません。神仏の応えを常に意識することで、常に正しい判断や行いができます。結局、修行とは、神仏への意識を極めることだと思います。

【2】自分の外のことばかりを気にしていると、そのことに自分が支配され、自分を見失い、神仏とも離れます。自分は何を考えているのか、心とからだに不調は無いかなど、自分をよく観察します。また、善かれ悪しかれ、縁によって生かしていただいていることに感謝することで、悪い感情を起こさないようにします(怒らない、イライラしない、焦らない、無理をしない、欲張らない…)。

札所参拝のときの“心の持ちよう”

【1】仏性を起こします。
【2】雑念を排して
般若心経を唱えます。

<解説>
神社・寺院は、人間が神仏と共に在ることを強く感じる場です。自分の意識を神仏の境地(「空」の境地)に高めて、自己のエゴを祓って、みんなが一緒に彼岸へ渡れるよう、神仏に祈りと感謝を捧げます。
(ちなみに、ここで私が意識するのは、各神社仏閣で祀っている神仏を通した、あらゆるものの背後に存在する“唯一絶対の神”です。そしてそれは、あらゆる人が信じる神と同一です。そうでなければ前述の“全体として一つ”になり得ません)

【1】仏とは、人のあるべき姿、あるべき生き方を諭す聖なる存在です。自分の内にも存在します。参拝に際して、その尊い気持ち(仏性)を起こします。
なお、般若心経を唱える前の仏前勤行次第(懺悔文さん げ もん三帰さん き三竟さん きょう十善戒じゅう ぜん かい発菩提心真言ほつ ぼ だい しん しん ごん三摩耶戒真言さん ま や かい しん ごん)でも、自らのこれまでの過ちを懺悔してから仏性を起こしていくような手順となっています。

【2】神仏への祈りのときに、他のことを考えながら祈るのは、神仏への侮辱に当たるとも言われています。

【まとめ】お遍路の核心

自分がこの人生を終えるとき、亡くなるのは肉体だけであり、魂は生き続けるとわかります。そして、目覚めれば安堵する悪夢のように、この世の出来事は夢であったと気付きます。

この世は今、肉体優位の世界です。肉体の欲するがままに人々が自己中心的に生きるから、人間社会のみならず自然との間にも不調和を来して、戦争・犯罪・格差・病気・災害などが起こって、いつまでたっても平和にならないのです。
このように、生きることに苦難が伴うのは、創造主である神が、人間に神仏を求めさせるような映画を演じさせているからです。

神が創作する映画のストーリーは、「人間が生きることに苦悩し、神仏を求め、真理を知り、エゴを捨てる。これを輪廻転生で繰り返しながら個々人の進化レベルを段々と高めていき、ついにはこの世が平和になる」というものです。
神から与えられた役柄がどんな人生であろうとも、映画の状況を決して深刻に受け取らずに神仏を信じて淡々と演じ切ることです。

お遍路も人々に生きる苦難がなければ存在しなかったと思われます。まさに神の創作映画のストーリー上の出来事です。終わりまで演じ切りましょう!

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参考

般若心経

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「経文」「読経 (動画)」「現代語意訳 (動画)」を掲載します。経文※ 神社や神棚など神前で唱えるときは、最初の「...

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公認先達申請

私の「四国八十八ヶ所 走り遍路」も今年1月に4巡を終え、四国八十八ヶ所霊場会公認先達の巡拝回数要件を満たすこととなりました。引き続き四国遍路のイメージアップに貢献したい気持ちであることから先達申請を行いました。申請審査の上、12月の先達研修会をもって公認先達に補任(ぶにん、=任命)される予定です。

公認先達について – (一社)四国八十八ヶ所霊場会

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