般若心経は『般若波羅蜜多心経』が正式名称です。
般若心経・全文
仏説 摩訶 般若波羅蜜多 心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
(注) ふりがなは唱え方を表すものとしています。
(注) 最初の経題の「仏説」は宗派などによって付けない場合があります。
般若心経の説き方(状況設定)
般若心経は、次のような状況設定に基づいた説き方を行っています。あらかじめ知っておくと理解しやすいです。
お釈迦さまが、観自在菩薩や出家した弟子たちと一緒に、ふるさとインドの王舎城の地にある霊鷲山という山に登ったときに、お釈迦さまは深い瞑想に入りました。
それに感応して観自在菩薩も深く行じていたときに、ある気づきを得ました。そして、お釈迦さまの智慧一番の弟子であるシャーリプトラ(舎利子)が、大乗仏教の象徴である観自在菩薩に教えを請います。
〈この間に般若心経の内容が入ります〉
観自在菩薩が教え終わったとき、お釈迦さまの瞑想も終わり「その通りです」と喜んで追認されました。
なお、この筋書きは、小乗仏教より大乗仏教が優位であることを暗に示すねらいもあるようです。
般若心経の解説
般若心経は、人間の本質(本当の自分)が「魂」であることと、その魂は既に「空」の悟りの境地にあることをベースにして説いたお経ではないかと思います。
魂に宿られた側の人間を自分自身だとする思い込みを解かない限り「魂」が人間のエゴ(自我・我欲)や苦悩に巻き込まれます。本来の「空」の境地に立ち返って自分自身だと思い込んでいる人間を客観的に観察し、自然の摂理に則して正しく生きられるようにすることこそが、その人間に宿った「魂」の使命であり修行となります。そしてこの本来の姿に立ち返る方法が、般若心経の説く真言を唱えることです。
以下、般若心経の経文を区切りながら解説します。
【関連記事】
仏教の本質であるブッダの瞑想は、身体の動きや心の働きを観察の対象としてとらえるものです。
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仏説摩訶般若波羅蜜多心経(経題)
仏説 摩訶 般若波羅蜜多 心経
【意訳】
仏の説く、偉大なる「智慧の完成」に関する神髄の教え
【補足説明】
●《般若波羅蜜多》とは悟りを得る智慧を完成させる修行のことで、一般的に「智慧の完成」と訳されます。六波羅蜜の智慧波羅蜜にあたり、他の五波羅蜜の要素も含む智慧によって悟りに到達するものとなる総合的・代表的な波羅蜜(=波羅蜜多)です。
●《六波羅蜜》とは悟りを得るための六種の修行で、菩薩 が涅槃 に至るための六つの徳目を指します。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。
観自在菩薩 ~ 度一切苦厄
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
【意訳】
観自在菩薩が、「智慧の完成」にあたって空の境地を洞察していたときに、人間の構成要素の五蘊は空の境地にその本質があることを見抜いて、一切の苦厄から衆生を救ったのである。
【補足説明】
●観自在菩薩は観世音菩薩、観音菩薩とも呼ばれます。衆生の声を観じてその苦悩から救済するといわれるように大慈大悲を本誓とします。
●五蘊は人間の構成要素であり、物質的現象(肉体)とそれに伴う心の働きを表します。
●人間の本質たる「魂」は、肉体が存在する物質世界にとどまらず、次元を超えた高い視点に立つことができます。人間の苦悩は物質世界の現象ですから、意識を物質次元ではなく空の境地に置くことで苦悩は無くなります。観自在菩薩はこのことに着眼した衆生救済の方法を見出したのです。
●高次元からすると低次元の現象が無くなるというのは、例えば三次元移動能力がある場合、二次元平面の地表障害物(山や川)にとらわれなくなるイメージです。飛行すれば目の前にあった障害が無くなります。
舎利子 色不異空 ~ 亦復如是
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色
受想行識 亦復如是
【意訳】
舎利子よ。物質世界の物質的現象は空の境地にあるその本質と一体であり、空の境地にある本質は物質世界のその物質的現象と一体である。つまり、物質世界の物質的現象は空の境地にその本質があり、空の境地にある本質は物質世界にその物質的現象がある。物質的現象に伴う感覚、想像、意志、認識とその本質との関係も同じである。
【補足説明】
●「色と空とは一体である」ということを書きぶりを変えながら繰り返し述べていますが、この「色)不異(空・空)不異(色・色)即是(空・空)即是(色」という連続性のある文の作りは《輪廻》を表現したものとの説があります。また唱えたときのリズム感も良くなることから、読経の瞑想効果を高めるねらいもあるのかもしれません。
●色・受・想・行・識の五つを合わせた名称が「五蘊」です。人間の構成要素であり、物質的現象(肉体)とそれに伴う心の働きを表します。
【色】物質世界の物質的現象
【受】物質的現象に伴って生ずる感覚
【想】物質的現象に伴って生ずる想像
【行】物質的現象に伴って生ずる意志
【識】物質的現象に伴って生ずる識別
舎利子 是諸法空相 ~ 不増不減
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
【意訳】
舎利子よ。あらゆる物質世界の物質的現象は、空の境地にあるその本質からすれば、生まれず・滅せず、垢つかず・清からず、増えず・減らず、というものなのである。
【補足説明】
●空の境地は物質世界を超えた次元です。そこは物質世界と異なる境地です。
是故空中無色 ~ 乃至無意識界
是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界
【意訳】
つまり、空の境地に立つと、物質世界の物質的現象は無く、物質的現象に伴なう感覚、想像、意志、認識が無いのである。物質的感覚器官の眼・耳・鼻・舌・身・意は無く、これらがとらえる対象の色・声・香・味・触・法も無く、つまりは物質的存在の構成要素の六根の眼から六識の意識までの十八界も無いのである。
【補足説明】
●六根・六境・六識(合わせて十八界という)に関しては無いというものです。これらは物質世界の物質的現象の構成要素ですから、空の境地に立つとすべて無くなります。
●六根とは主体的な感覚器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身(皮膚)・意(心)。
●六境とは六根の対象となる客体的世界のことで、色(形)・声(音)・香・味・触(感触)・法(心の対象)。
●六識とは六境に反応した心の動き(認識)のことで、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識。
●高次元からすると低次元の現象が無くなるというのは、例えば三次元能力がある場合、二次元の平面世界にとらわれなくなるイメージです。より高い視点に立つことでこれまでの常識にとらわれなくなり、価値観や生き方が大きく変わります。
無無明 ~ 以無所得故
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
【意訳】
無知であることも無く、また無知が尽きることも無いのである。それから老いも死も無く、また老いと死が尽きることも無いのである。苦や苦の原因、苦を滅すること、苦を克服する方法も無いのである。知ることも得ることも無いのである。そして、身に得るもの(執着するもの)が無いことをもって…
【補足説明】
●「十二支因縁」や「四諦」などに関することも無いというものです。これらも物質世界の物質的現象ですから空の境地に立つとそれらは無くなります。
●「十二支因縁」とは輪廻転生の迷いの世界の因果の連鎖、つまり過去の因が現在の果となり、現在の因が未来の果となる流れの系列を表し、最初の迷いの根本たる「無明」から順次滅されることにより苦しみは無くなると説くもので、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死。ここでは始めの「無明」と終わりの「老死」だけを掲げて途中を「乃至」で省略した表現となっています。
●「四諦」とは苦を克服するための四つの真理(苦・集・滅・道)を説いたものです。空の境地では元となる苦が無いため、これに続く真理(集・滅・道)も無くなります。
●高次元からすると低次元の現象が無くなるというのは、例えば三次元能力がある場合、二次元の平面世界にとらわれなくなるイメージです。より高い視点に立つことでこれまでの常識にとらわれない、自由自在の境地となって、ことさらに知りたいことも得たいことも無くなります。
菩提薩埵 ~ 得阿耨多羅三藐三菩提
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
【意訳】
悟りをめざす者は「智慧の完成」によって心にとらわれ(執着)が無くなり、何かに恐れたり、妄想(根拠のない想像)に振り回されたりすることも無くなって、自由自在に生きられる悟りの境地に至るのである。過去・現在・未来の三世の仏たちも、この「智慧の完成」によって、最上の完全な悟りを得てきたし又は得ることとなるのである。
【補足説明】
●この悟りの修行を行う者は、完全に満たされた状態である空の境地に立つことで、心に執着がなくなり自由自在に生きられるようになっていきます。仏もそうなのだから間違いないということです。
●「阿耨多羅三藐三菩提」とは無上正等覚と訳され、真の悟りを得ていることを表します。仏の尊称としても用いられます。すべての段階の菩提を越えて、最高にして正しく、遍き正覚(一切の真理を正しく平等に悟ること)の境地にあります。
●高次元からすると低次元の現象が無くなるというのは、例えば三次元能力がある場合、二次元の平面世界にとらわれなくなるイメージです。より高い視点に立つことでこれまでの常識にとらわれない、自由自在の境地となります。
故知般若波羅蜜多 ~ 即説呪曰
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
【意訳】
この「智慧の完成」とは、偉大なる真言であり、悟りのための真言であり、無上の真言であり、比類なき真言であるところのこの真言を唱えることである。一切の苦しみをよく除き、真実であって偽りはないのである。この真言を唱えることとは次のとおりである。
【補足説明】
●《真言》はそれ自体が「悟りの智慧」にほかなりません。「真言密教」あるいは単に「密教」とは、真言によって《真理》を説くことに基づくものです。《真理》を人が理解できるように、言葉や文字で説明し尽くすことなどできないとする立場です。
●「呪」は真言のほかに、陀羅尼、密語、呪文、呪術とも訳されています。
羯諦羯諦 ~ 菩提薩婆訶(真言)
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
【意訳】
立てる者よ 立てる者よ 空の境地に立てる者よ 空の境地に完全に立てる者よ 悟りあり めでたし
【補足説明】
●般若心経の核心である《真言》です。サンスクリット語(古典用古代インド語)の音に漢字を当てたものなので、漢字を訳しても意味を成しません。サンスクリット語を訳せばいいのですが、奥深い意味があって簡単に訳せないため、サンスクリット語の音のまま唱えるものとされています。この真言を唱えることで「空」の境地に導かれていきます。
●通常、般若心経の真言とはこの部分を指しますが、般若心経全体が真言であるともいわれており、その場合この部分は真言の肝心要、真言の中の真言といえます。
●《真言》は意図するものを心に呼び起こすためのものであるから、言葉の意味よりも《響き》が重要だとする説があります。そうであれば意味を追うのはやめて、より集中した瞑想状態の中で唱えることが求められると思います。
般若心経(経題)
般若心経
【補足説明】
般若心経の終わりを表す経題です。
読経(YouTube動画)
参考動画をご紹介します。
(注) 動画閲覧の際はデータ通信量が大きくなります。
■般若心経 十回復唱(高野山奥の院)
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