真言宗仏前勤行次第
インドで発祥した仏教は中国に伝わったときにお経が漢文に翻訳されましたが、中国から日本に伝わったときには日本語に訳して唱えることにならなかったようです。意味がわからないでは勤行の意義が薄れます。この「真言宗仏前勤行次第」は、それぞれの経文にその内容の要約が前書きされていて分かりやすいです(青字の文章が前書き)。(「勤行次第の解説」ページ もご参照ください)
今の世の中の混沌とした状況は人々の欲望(煩悩)の表れともいえます。その中で自らを浄めようとすることが尊いのです。あらゆる物事や存在が調和し、みな等しく幸せであるのが仏の世界です。これをイメージして唱えます。
勤行の中心は般若心経です。それに向けて心を整え仏性を起こします。そのほか諸仏の働きの能力を得る御真言、弘法大師の加護を得る御宝号、仏の願い(勤行においては仏の願いが個人的な願いでもあります)を唱えます。終わりに、自分の修めた勤行の功徳を他にも差し向け、自他ともに悟りが得られるよう回向します。
※各項目のタイトル(マーカー部)は唱えません。
《合掌礼拝》(合掌し礼をしながら拝む)
恭しく みほとけを礼拝したてまつる
《懺悔文》
無始よりこのかた 貪瞋痴の煩悩にまつわれて 身と口と意とに造るところの もろもろの つみとがを みな悉く懺悔したてまつる
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生
一切我今皆懺悔
《三帰》
この身 今生より 未来際をつくすまで 深く三宝に帰依したてまつらん
弟子某甲 尽未来際 帰依仏 帰依法 帰依僧 (三返)
《三竟》
この身 今生より 未来際をつくすまで ひたすら三宝に帰依したてまつり
とこしなえに かわることなからん
弟子某甲 尽未来際 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟 (三返)
《十善戒》
この身 今生より 未来際をつくすまで 十善の みおしえを守りたてまつらん弟子某甲 尽未来際 不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不悪口 不両舌 不慳貪 不瞋恚 不邪見 (三返)
《発菩提心真言》
白浄の信心を発して 無上の菩提を求む 願くは 自他もろともに 仏の道を悟りて 生死の海を渡り すみやかに解脱の彼岸に到らん
おん ぼうじ しった ぼだはだやみ (三返)
《三摩耶戒真言》
われらは みほとけの子なり ひとえに如来大悲の本誓を仰いで 不二の浄信に安住し 菩薩利他の行業を励みて 法身の慧命を相続したてまつらん
おん さんまや さとばん (三返)
《開経偈》
無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い遇うことかたし われいま見聞し受持することを得たり 願わくは 如来の真実義を解したてまつらん
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義
《般若心経》
般若心経は 仏教の精要 密蔵の肝心なり このゆえに 誦持講供すれば 苦を抜き 楽を与へ 修習思惟すれば 道を得 通を起す まことに これ世間の闇を照らす明燈にして 生死の海を渡す船筏なり 深く鑽仰し 至心に読誦したてまつる
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
《十三仏真言》(札所参拝時の本堂においては、その本堂に祀られている御本尊の《御本尊真言》を唱える)
[一]不動明王
のうまくさんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん (三返。以下同じ)
[二]釈迦如来
のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
[三]文殊菩薩
おん あらはしゃ のう
[四]普賢菩薩
おん さんまや さとばん
[五]地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
[六]弥勒菩薩
おん まいたれいや そわか
[七]薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
[八]観音菩薩
おん あろりきゃ そわか
[九]勢至菩薩
おん さんざんさく そわか
[十]阿弥陀如来
おん あみりた ていせい から うん
[十一]阿閦如来
おん あきしゅびや うん
[十二]大日如来
おん あびらうんけん ばざら だとばん
[十三]虚空蔵菩薩
のうぼう あきゃ しゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか
《光明真言》
となえたてまつる光明真言は 大日普門の万徳を二十三字に摂めたり
おのれを空しゅうして 一心にとなえたてまつれば みほとけの光明に照らされて 三妄の霧おのずからはれ 浄心の玉明らかにして 真如の月まどかならん
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん (三返)
《弘法大師 御宝号》
高野の山に身をとどめ 救いの み手を垂れ給う おしえの みおやに帰依したてまつる 願わくは 無明長夜の闇路をてらし 二仏中間の我等を導きたまえ
南無大師遍照金剛 (三返)
《祈願文》
至心発願 天長地久 即身成仏 密厳国土 風雨順時 五穀豊饒 万邦協和 諸人快楽 乃至法界 平等利益
《回向文》
願わくは この功徳をもって あまねく一切に及ぼし われらと衆生と みなともに仏道を成ぜん
願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
《合掌礼拝》(感謝の意を込めて合掌礼拝する)
勤行次第の解説
『勤行次第の解説』を次のリンク先に掲載します。
唱え方
静寂な心に仏性は起こります。
まずは、心をふかく深く落ち着かせます。
その上で、無心で丁寧に淡々と唱えます。
●暗記していても、経文を見ながら目・口・耳を使って《三重に唱える》のが正式なやり方だと言われています。ここでいう《耳で唱える》とは自分の口で唱えたお経を同時に聞くことを指します。三重に唱えようとすることで、脳に雑念を起こす余裕がなくなって、より読経に集中できるという実感もあります。
●《真言》は意図するものを心に呼び起こすためのものであるから、言葉の意味よりも《響き》が重要だとする説があります。そうであれば、真言の部分は特に意味を追うのはやめて、より集中した瞑想状態の中で唱えることが求められると思います。
真言宗仏前勤行次第のYouTube動画
唱え方は、このYouTube動画も参考にしてみてください。
(注) YouTube等動画視聴の際はデータ通信量が大きくなります。
■仏前勤行次第(高野山真言宗 金城山宝寿院 本堂にて)
四国八十八ヶ所霊場会が推奨する勤行次第
「四国八十八ヶ所霊場会」サイト(新しいウィンドウで開きます)
四国別格二十霊場会で示されている勤行次第
下の「四国別格二十霊場会」サイトのリンク先ページの「霊場での勤行」の項を参照してください。(新しいウィンドウで開きます)
一つの霊場の本堂と大師堂とで一連の勤行を分けて行うイメージとなっていますが、このように本堂と大師堂とで同じ構成の勤行を重ねる必要はないのかもしれません。