NHK番組・こころの時代『瞑想でたどる仏教-心と身体を観察する』が、令和3年4月から9月まで毎月1回、全6回放送されました(同年12月29、30両日深夜にも再放送。この後もアンコール再放送がありました)。
第1回「ブッダの見つけた苦しみから逃れる道」
第2回「ブッダの教えを継ぐ人々」
第3回「多様化する瞑想」
第4回「中国文化との融合」
第5回「日本仏教の誕生」
第6回「心を師とすることなかれ」
仏教は今から2500年前にブッダが瞑想によって悟りを得たことで始まります。「苦」と向き合うのが仏教であり、苦を解決する方法が瞑想ですから、本番組は仏教の本質・根幹に関わる内容です。
ブッダの瞑想(=仏教瞑想の本質)は、身体の動きや心の働きを観察の対象としてとらえるもので、五感に刺激を受けたときの心の働きなどに気づき続けることでヒトの認識機能のしくみを把握し、心が勝手に苦しみを生み出したり増幅させたりしないようにするものです。なお、ブッタの瞑想は初期の仏典では《念処(ねんじょ)》という言葉で表されています。念処とは「注意を振り向けてしっかりと把握すること」です。
王の息子として生まれたブッダが出家修行したきっかけは民衆の苦悩の救済にありました。慈悲の心はもとからヒトに備わっているものです。自らの苦悩を克服する「智慧」と、それを他者にも振り向ける「慈悲」は仏教の二本柱といえるものです。
日本の仏教では座禅修行を主とする宗派を除き、もっぱらお経などを唱えているようにも思えますが、一つのものに専心する性格を持っているので読経も瞑想に当たるとのことです。ブッダの瞑想以降、仏教の瞑想は座禅によるものだけに限らず、いろんな方法が編み出されてきたようです。
また瞑想を始めると、それを妨げるような煩悩や幻覚などが生じる場合があると、その対処法を含めて第6回「心を師とすることなかれ」で言及されています。
この「心を師とすることなかれ」の表現にしろ、ブッダ瞑想の「身体の動きや心の働きを観察の対象としてとらえる」にしろ、《本当の自分》が別の存在(魂)として人に宿っているようにも思えます。