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この世は実は修行の道場

ブッダの教えによると、人として生きるこの物質世界は欲望が盛んな《欲界》といえます。その気がなくても無意識で居ると、おのずと自我・我欲に執着し、心が煩悩によって乱され、思うように生きられない迷いの苦悩に陥ります。
これがブッダのいう《一切皆苦》の意味だと思います。つまり、自分の思いどおりにはならないのに、自分の思いどおりに生きたいと欲するから苦しむのです。

自我・我欲に任せて生きていては苦悩や争いごとは増すばかりで生きづらくなり、今の世界の存続も危うくなります。人の生き方を改める必要性に気づき、自然の摂理に照らして正しく生きるという強い意志を持って、無我・無執着の境地によってあるがままを捉えながら生きられるようになることで、この問題を克服することができるのではないかと思います。

このことで、人類の調和と平和を人自らの手で実現させることにもなり、人に宿った本当の自分である魂も磨かれます。そして、自他の別は本来ないものであって互いに関係し合ってみんな一つである(oneness)ということと、本当の自分とは何者であるのかということが見えてきます…

なお、この修行の必要性に気が付かないうちは、人は自我・我欲に任せて生きることになりますが、そう生きてみて痛い目に遭って学ぶも修行でしょう。

また、具体的な修行方法は、自分にふさわしい方法を自らが探究して見出さなければならないと思います。自分が頼るべきものは既に自分の内にあります。まずはそれに気づくことが何より重要です。

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