雑感

宗教で多用される方便

宗教では「方便」が多用されているように見受けられます。この方便は言葉だけではなくモノやコトにも及んでいます。

方便とは“あることを別の内容で分かりやすく表現したり、行ったりすること”ですが、辞書では次のとおり説明されています。
(1)仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
(2)ある目的を達するための便宜上の手段。「うそも方便」

一般大衆に難しい教えや厳しい修行をそのまま説いたところで、理解や修行が困難であることから、宗教を広めていくにあたって方便を使うようになったと思われます。方便を信用し切って信仰を深めていけば、結果的にはその教えを享受できます。
しかし今は読み書きのできない人が多かった時代とは異なります。情報にあふれていて現代人の知識も豊富です。方便の内容によっては不信や違和感を抱く人も出てきます。

また宗教に限ることではありませんが、目に見えない世界のことを感じやすくするためのものもたくさんあります。この世は物質世界ですから物質的なモノやコトを求める人も多く、そのニーズにも対応することとなっています。物質的なものを介することによって想いが深まり、祈りに集中力が増すなどの効果はあり得ます。これも見方によっては方便に相当します。

私は方便を全面的に否定するつもりはありません。自分にとってそれが有用か否かを修行しながら検証してみようというスタンスです。自分の修行に生かせるのであれば、今後もその方便を採用します。
「どうすれば幸せになれるのか?」「自分は何のためにこの世に生を受けて、どう生きて行けばいいのか?」などについて答えを得たいのであれば、自分なりの修行で見出していけばいいと思います。御利益があるというものを所有したり、何かをしてもらうことだけで何とかなるものではありません。

昔の修行者は、出家して托鉢で得られるものの範囲内で質素に生活しながら純粋な修行に専念していたと聞きます。俗世から隔離した環境下で自分に向き合い集中して、自分の内に尊いものを見出し養うような修行をしたのかもしれません。
今では現実離れした修行は困難ですから、現代なり・自分なりの的を射た修行に集中して取り組んでいった方がよいと思います。

なお、方便の内容によっては不信や違和感を抱く人が出てくると思われることについては気掛かりな点ですので、私が方便として用いている表現などを見直し、当サイトの掲載内容も随時修正していきます。

タイトルとURLをコピーしました