自らの魂(本当の自分)の穢れは過去世の業が現世にも及んでのことです。あらゆるものとの不調和を生じさせる魂の自我・我欲(自己中心、損得勘定)はその魂が宿るヒトの身口意に現れます(三業)。修行しても簡単には煩悩は滅しないと思います。過去世の業の報いを淡々と受けつつ(自らの穢れを祓いつつ)、善い因を積んでいくしかありません。このことをいのりながら(意識しながら)実践するのが修行です。ストイックに修行するのも自らの魂が宿るヒトに負担を掛け現世修行にも支障を来しますし、自我・我欲の是非にまだ気づいていない場合はそれに溺れてみることも修行の内と思います。いずれにせよ修行は気長に取り組む事柄です…