その他のお経や聖句

延命十句観音経

延命十句観音経えんめいじっくかんのんぎょうは、試験合格や病気平癒へいゆなど、自分や他の人のために叶えたい明確な目標が目の前にあるときや、切羽せっぱ詰まった目の前の困難や障害を切り抜けたいときなどに特に有効であると言われています。
「延命」とは単に“長生きする”という意味ではなく、“より良く生きる” “いのちの可能性を広げる”ということです。「延」を“伸ばす”と解釈するのではなく、“広げる”という意味合いでとらえると分かりやすいです。
とても短いお経なので、本当の自分を意識したいときや自分を活性化したいときなど、日常的に唱えてもいいと思います。

特定の願い事を叶えたい場合、その内容を具体的に願ってから読経を始めます。一つの願い事に対する読経回数の標準目標は3千回とのことです(「一念三千」が根拠。分割可)。回数を数えるときは、数珠じゅずやカウンターを使うと便利です。数珠じゅずはもともと読経回数を数えるためのものです。カウンターは100円ショップでも売っています。
願い事は例えば「病気が治りますように」と祈ると病気がひどくなるため、「健康になって元気に天命がまっとうできますように」とします。今の暗い状況ではなく、目標が達成された時の明るい状況をイメージします。何においても、どういう心持ちで自分が存在するかが重要です。それに向かって事は動きます。「泣き面に蜂」「弱り目に祟り目」は本当です。無理しても、気持ちだけはいつも前向きに!

また、このお経は内容からして、加持かじ(*)の祈りとも言えそうです。

(*) 加持かじとは辞書によると、1)密教で、仏の慈悲の力が衆生に加わり、衆生がそれを信心によって受持し、仏と衆生とが相応そうおう(結合)すること。 2)真言行者が、手にいんを結び、口に真言を唱え、心を仏の境地におき、仏と一体になること。

観音さまは仏の一面である、衆生救済の慈悲・慈愛を象徴する菩薩(観世音菩薩かんぜおんぼさつ)です。常に私たちを見守り、施無畏せむい(仏が衆生の恐れの心を取り去ること。観世音菩薩の異名)を行います。
そして、私たちに内在する仏性にもこのような一面が秘められているのです。苦悩する人に対して相手の身になって相談に乗ったり、元気づけたりすることは、自らの慈愛によるもので、まさに観音さまの行いと言えます。
自分が帰依し拠り所とする仏は自分の外に存在するのではなく、自らに内在します。人間が正しく生きるため、天命をまっとうするために必要な力は仏性として、既に自らに備わっています。自分の中からその力を引き出せばいいのです。
仏がいくら慈悲・慈愛に満ちていても、この世の生活者自身が慈愛に満ちなければ、世界平和は実現されません。私たち人間にどのような使命が課せられているかは明らかです。

延命十句観音経えんめいじっくかんのんぎょう

観世音かんぜーおん 南無仏なーむーぶつ
与仏有因よーぶつうーいん 与仏有縁よーぶつうーえん
仏法僧縁ぶっぽーそーえん 常楽我浄じょーらくがーじょー
朝念観世音ちょーねんかんぜーおん 暮念観世音ぼーねんかんぜーおん
念念従心起ねんねんじゅーしんきー 念念不離心ねんねんふーりーしん

《 意訳 (拙訳) 》
観音さま、私は仏の御心みこころ(私に内在する仏性)のままに生きます。
仏が与える因を有して仏性を持って生まれ、仏が与える縁を有して仏性に即して生きます。
仏法僧
(*1)と関わり合って、常楽我浄(*2)に生きます。
朝な夕ないつも観音さまを念じます。
この念々で心に観音さまを起こして、その御心みこころのままに生きます。


(*1) 仏法僧とは、仏(仏)・仏の教え(法)・仏を目指す仲間(僧)です。
(*2) 常楽我浄とは、涅槃の四徳であり、悟りの境地の要素を表します。諸行無常を離れて常住不変(常)、苦を離れて安楽(楽)、執着を離れて自由自在(我)、穢れを離れて無垢清浄(浄)。迷いや苦しみの無い、本当の自分の生き方ができる、穢れることなき境地です。

《 YouTube参照動画 》
(注) 動画閲覧の際はデータ通信量が大きくなります。

「延命十句観音経」まきでら 長谷寺の 新年祈祷 (平成24年元旦)
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