その他のお経や聖句

拠り所は自らの神性・仏性

己こそ己の寄るべ 己を置きて誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり。

自ら悪をなさば自ら汚れ 自ら悪をなさざれば自らが清し。
清きも清からざるも 自らのことなり。
他のものに寄りて 清むることを得ず。

(法句経第12章160番・165番)

法句経(ダンマパダ)に出てくる釈迦の教えの一説です。
この聖句(神聖な尊い言葉)からは、“人として正しく生きる”と自らが決意することの大切さを教えられます。

私なりに意訳すると、

自分は自分であり他人ではないのだから、他人に拠ることとすべきではない。そして、自分自身が拠り所となり得るように、人として正しく生きなければならない。

過剰な欲望やエゴによって自らを汚すのか、欲望やエゴを抑えて正しく生きるかは、自分次第である。

なお、“人として正しく生きる”については、自分勝手な解釈とならないよう、真理や法(仏の教え)などに基づくものとすべきです。
そういう意味では、拠り所とする自分とは結局は、自分の内にある神性・仏性であるということになりますが、なぜここで神仏を拠り所にと言わないかは、神性・仏性を有する人間とはつまり、神仏そのものであるからだと思います。多くの人間はいまだ、神の分霊が肉体に宿って穢れてしまったままにあるから、はやく本来の姿に浄まるようにということです。

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