一般

徳を積むように仕組まれた人生

誰の人生でも、程度の差こそあれ、困難なこととそれに付随する苦しみは必ず起きるものだと思います。困難な人生を通じて「魂(本当の自分)」を成長させるために、魂自らが設定した課題にふさわしい人を選びその人に宿るという説もあります。目の前に次々と起こる困難を淡々とこなしていくことで必要な魂の成長がなされるというしくみであれば、何をすべきかなどとあれこれ悩む必要もないために修行もラクです。困難度はぞれぞれの人の使命・課題に応じて必然的に決まるものと思われますので、必ずしも難度の高い方が有意義とは限りません。釈迦ブッダは「人生は苦なり」といいましたが、魂を成長させるために人は苦しみを抱くように創造されたのかもしれません。そのためか、困難のない人生は味気なく、これでいいのかと不安を抱いて、これまた苦しみとなります。人は修行が必要な穢れた魂を宿しているために徳を積まないと悪い情念が湧きます。良心でいることと前向きな意志を持つことを意識して徳を積んでいくことで困難とその苦しみがそれとは感じなくなると思います。実力は別として、誰にでも「世のため人のため」という気持ちがあるのは何故でしょうか?この宇宙の存続のためではないかと思います。宇宙の本能ともいえます。自然や宇宙の法則に則すれば生きやすく、反すれば生きづらくなることでこのことを示唆できます。そのためにあえて相反する自己中心・自分勝手の意識を持たせ修行させていると考えることもできます。“我執するように創造されたこの世で無我修行”